真珠の歴史
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新約聖書や日本書紀にもに記述されている。古代インドの伝説によれば、海が神に捧げた真珠が神の胸に宿り、その心になったといいます。
何の加工も施さず貝から取り出された瞬間に輝きを放つパールは、研磨技術が発達していない古代には最も王侯貴族たちに愛され、クレオパトラが、ローマの将軍アントニウスとの賭けから、真珠のイヤリングの片方を溶かした酢を飲み干したという話もあります。
もともとは天然の貝に異物が混入し、それを貝の分泌液が何層も重なり合って形成されたものだったのですが、1893年に日本の御木本 幸吉さんがはじめて真珠の養殖に成功してからは日本で良質で均質な真珠が取れるようになり、世界各国に輸出されています。
クレオパトラは、ローマ将軍アントニウスへの激しい
愛と国運を掛けて、身につけていたパールを酢に溶かして飲み干したというエピソー ドが残っています。飲用するといつまでも不老長寿で美しさを保つと東洋でも古くか
ら信じられ、かの楊貴妃もいつも口にパールを含んでいたといいます。
一般に異物(核)が偶然入ってできるものが天然真珠、人工的に入れて作るものが養
殖真珠と大別されます。天然真珠の歴史は古く、日本書記や古事記にも「しらたま」として登場します。
1863年(明治26年)御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功するまで、天然真珠の価値は同じ大きさのダイアモンドに匹敵するほど高価なもので
した。
クレオパトラが美容を保つ為に酢に真珠を溶かして飲んだというエピソードや、
中国で昔、秦の始皇帝が不老長寿の薬として探し求めたとか、楊貴妃が真珠を粉末にして常用したとか、他にもアラビアンナイトの物語の中にも真珠の話は度々出て参ります。
万葉集の中にも「白金も黄金も玉も何かせむ」と詠まれた「玉」は真珠の事であると言われておりますし、正倉院の御物の中にも真珠を装飾したものがあります。
これらの話しにある真珠は何れも「天然真珠」であって、外国での物は多くは20〜30cm丈の白蝶貝の体内で採取されたもので、時としては黒蝶貝より採れたものもあります。これらの貝の大部分は熱帯、もしくは亜熱帯における海域に分布生息している貝であります。
三重県の英虞(アゴ)湾や愛媛県の宇和海域に多く生息していたあこや貝から採取されたのですが、これらは外国のものに比べてその形状は小粒であります。これらの真珠を天然でなく人の手により生きた貝を使って造ることを十九世紀の末頃に中国において研究したと言う史実があります。
1919年に商品として世に出された。1912年頃パリとロンドンで日本の養殖真珠は真珠と称することは出来ないという裁判にかけられたのですが、ジェムソン博士、ブートン博士をはじめ、英国・フランスの学者等の証言によりその組成や諸条件が何ら天然真珠に異ならずと立証されて以来、現在日本の特産品となった。
この養殖真珠は我が国ではあこや貝に独特の手術を施し、数年間海中で育成して生産するのですが、同様の技術により日本人の技術者によりオーストラリアの木曜島周辺やミャンマー、フィリピン等においても白蝶貝による大粒の養殖真珠生産が行われ高く評価されております。
その美しさを称えた歌が古事記や万葉集に残されている
正倉院御物や三月堂の仏像には、当時の真珠が今もなお美しい輝きを失うことなく保存されています。
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